やゆよのあゆみ

木の花ファミリーという共同体で、人と自然と調和して暮らしています。生きることとか人間のこととかを書いていきます。

生きることと、見通す力

人が、死者を弔うようになったのはいつからなのでしょう。

 

他者の死を悲しみ、物理的にはただの肉の塊となった他者の体を、人はどうして敬意を払い丁寧に弔うようになったのでしょう。人間以外の動物からすれば不思議なこの行動の奥に、人間以外の動物には見られない、人の心というものの本質が見えてくるように思います。

  1960年に、今のイラク、かつてのメソポタミアの地で、今から約10万年前のネアンデルタール人のお墓が洞窟の中で発見されました。ネアンデルタール人旧人と呼ばれ、私たちホモ・サピエンスの一つ前の世代の人類と言われています。高い知能を持ち、お墓には人骨だけではなく、副葬品や花の花粉、火を焚いた跡が多数発見され、死者の埋葬に花を添え、火を焚いて葬儀を行ったのであろうと推測されています。

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シャニダール洞窟での埋葬

 死者に花を添え、埋葬するというのは、私たち人間にとっては自然な行為ですが、人間以外の動物達から人間のその行為を見たら、とても不思議な光景として映るでしょう。人間以外の動物にとって、食料を採り、子供を産み育てるのと同じように、「死」も生物にとって当たり前にやってくる出来事です。動物たちが、自分がいずれ死を迎える時のことを想像して思い悩んだりすることはおそらく無いでしょう。

 一方で私たち人間は、他者の死に出会った時、自分自身もまたいずれ死を迎える存在であることを再認識します。そして、死を恐れたり、限りある生を大切に生きようとします。何かに期待し、失望し、それでもまた希望を持って生きる。そうやって人は、今目の前にはないが、いずれ出会う未来の出来事に対して、様々な想いを持ち生きていく不思議な生き物なのです。

 

 

人間とそれ以外の動物の最も大きな違い、それは想像力です。人間は、言葉や文字の意味、他者や自分自身の人格・個性、集団の中にあるルールや価値観、出来事の奥にある自然法則や存在など、目には見えないものを観ることが出来ます。【言語の起源】

 そしてそれだけでなく、宇宙から見た地球や、目には見えない素粒子の振る舞いを、リアルに思い描くことも出来ます。まだ見ぬ未来や過去、まったく別次元の世界や存在など、人間の想像力は時間も空間も、あらゆる制限から自由に飛び出すことができます。

 しかし、その自由な想像力は、目の前にある現実をどのように見ているかで、妄想や空想にもなり得ます。想像力の種となる現実を、囚われなく、偏りなく、ありのままに見ることが出来てはじめて、想像力は物事の奥や未来を見通す鋭い洞察力となります。【観察と洞察】

 

 

 このような高い能力によって、私たち人間はこの世界をただ盲目的に生きるだけではなく、何のために生きているのか、どのように生きるのか、という意味や目的を見出すことが出来ます。

 生きる意味や目的は、人生に活力を与えてくれます。ですが、誰もが自分や自分の家族の幸せだけを願って生きてきた結果、人は病み、家族や社会は分離し、生態系は乱れ、人類は完全に行き詰まっています。

 今必要なことは、一人ひとりが生きる意味と目的を見直すことです。自分や家族や近しい人だけの幸せを求めて生きるのではなく、自分を含めた社会全体が他者を尊重し活かしあい、地球が美しい星になるために、自らの生きる意味と目的を定めることです。

 現代の様々な行き詰まりを、曇りのない目で観察すれば、私たち人類はどこへ進むべきなのかを見通すことが出来ます。それは誰か特定の人が考えた主義や思想ではなく、現実の観察から導き出される当然の答えであって、人類の進化の道筋であり、言い換えれば地球生命の進化の道なのです。【共同体進化】

 そして、その進化の道に、自らの生きる意味と目的を定めた時、その歩みを時代が後押ししていることを感じることができます。それは歩んだ者にしか体験することの出来ない、偶然の一致に見える必然の出来事です。

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毎年恒例の動物園への遠足

 定めた方向性が確かだからこそ、歩めば歩むほど、辻褄が合い、確信が深まる。そんな不思議な生き方を、木の花ファミリーのみんなと共に、これからも続けていきます。

 

 

【】内はいずれ書きたいと思っている内容です。

突破口の先に湧く泉

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10月8日、今日は二十四節気では「寒露」というそうです。

露が冷気によって凍りそうになるころ、という意味だそうです。地球暦では、春分を0°として、秋分が180°。今日は秋分から15度まわった、195°にあたります。

 

これから大切に育ててきた作物達を収穫していく、忙しくも大事な時期がやってきます。これまでの積み重ねの総仕上げであり、結果を頂くという時期でもあります。この結果を、文字通りまた来年の「糧」として、次回に活かしていくことが、私たち農に携わる者の生き方です。

 

深まりゆく晩秋の今は、農事や作事も転換のとき、経済も冬の山(クリスマス・年末年始)に向かって動き出す時期です。今年一年の体験が、経験へと蓄積される秋、少しずつ来年のイメージも湧いて来ているのではないでしょうか。地球暦 - 【TIMES】2017/10/08 11:22 寒露(かんろ)Cold Dew... | Facebook

 

そんな作物達は、私たちにはどうしようも出来ないほど巨大な力の中で育まれています。誰にも、雨をコントロールすることも、太陽を夜に輝かせることもできません。

 

宇宙がゆらぎ、銀河が渦巻き、惑星が廻りて巡る。その星々の中に私たち生命が存在しています。

 

私たち生命は、そのような巨大な力によって導かれ、進化してきました。

身を焼くような太陽光線を、逆にエネルギーに変えたからこそ葉緑素を持った植物が誕生しました。酸素の強力な酸化作用を、逆に呼吸という燃焼エネルギー源に変えたからこそ、動物が誕生しました。

 

農耕や文字が発達したのも、地球の気候変動により食料を貯蓄せざるを得なかったからですが、それにより人類はさらに高度な知的生命体として進化しました。

 

いつも私たち生命は、太陽や、地球の変化といった、誰の力でもどうにもできないほど巨大な力から課題を与えられ、それを突破することで進化・発展してきたのです。

 

木の花ファミリーは今、壁に突き当たっています。

これもまた進化のきっかけであり、突破することで、問題点はエネルギー源に転換します。これは人類がいずれ突き当たる壁であり、私達は先んじてその壁にチャレンジしているのです。

 

その突破口は、気付きという悟りによるものであり、悟りは客観的視点であり、客観的視点は変遷を見ていくということだと、なかのんのブログ「木の花ファミリーの経済から世界を見る」で語られました。

konohanafamilyeconomy.blogspot.jp
先に紹介した話に続けて、いさどんは「生きていれば、変遷を見ていくことが出来る。変遷を見るということは、客観的視点で見るということであり、それが悟りだ」ということを言っています。

変化変容がこの世界の法則です。宇宙は常に新しいところへと進み、季節は巡り巡ります。囚われを外せば、すべてのものは自ずから変化していきます。自分のことも他者のことも世界のことも客観的視点に立って、その変遷を見ていく。人は兎角、今の状態に反応し判断しがちですが、そういう反応を置いておいて、奥にある流れを感じていく。その姿勢が人にゆとりと余裕を与え、その波動はきっと希望となって世界に広がっていきます。

突破口は気づきにある。

それを意識し生活する時、今この場に桃源郷ロータスランドが誕生することでしょう。

 

私たちがこの世界から与えられている課題は何なのか。

それに気づいていくためには、変遷。そしてもう一つ、視点があるのではないかと思いました。

 

過去・現在・未来という時間を軸としたものをトキとすれば、いくつもの方向から光を当て、対象を多面的に観るという場所を軸としたものをトコロ。このトキとトコロ、時間と空間で、物事を立体的に観ることで、客観的視点、悟りという気付きに達するのではないでしょうか。

 

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みかちゃんが描いた絵。ひとりひとりが心宇宙の探索機

 

人は、人のことはよく観えても、自分のことは観えないものです。自分という枠から飛び出して、自分達を外から捉え、方向性を正していく。それが出来ないからこそ、私達人類は、この地球を癌細胞のように、蝕んでいるのです。

それは、個人の人生においても言えることです。節目節目を大切にして生きるからこそ、一つひとつにけじめが付き、次の段階を楽しめる。そんなダイナミックな人生を送ることが出来るのです。

 

私たちは何のために生きているのか。

 

この不思議な生き方を、みんなで照らして、解き明かしていきませんか?それが私たち木の花ファミリーの突破口であり、人類の突破口でもあるのです。その先には、生きることへの確信という柱に降り注ぐ、エネルギーの泉があるのです。

 

これからの人類は、渇きから求めるエネルギーではなく、満たされ溢れるエネルギーで生きていくのです。

 

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秋分ロータスランドに掛けられた絵。天から光の柱が降り注ぎ、池には銀河が渦巻いている。

 

節目のトキに、意識を重ねて加速する。

9月23日、秋分です。(でした。)

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木の花ファミリーでは、マコモ畑で1日千本ものマコモが収穫され、近くの大富士さんでは、焼きたての焼きマコモが販売されています。マコモは健康食品として有名ですが、焼きマコモの優しい甘さは、気がつけばつい3,4本も食べてしまう美味しさです。

  

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太陽系時空間地図 地球暦 HELIOCOMPASS

太陽を中心とした暦、地球暦では、秋分は「陽と陰の切り替わり」です。

春が種まきなら、秋は収穫、春からの積み重ねが秋に表れ、その結果をまた次の春に生かしていくための準備期間がこれから始まります。それは、物理的な農作業に限らず、陽の時期の成果を、陰の時期に振り返り、また次の一年へと生かしていく、星と生命のサイクルです。

 

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そんな中、

建築チームで現場監督を任されている僕は、ある出来事に出会いました。それは、昼食時の打ち合わせ、なんでもない話の中であったことです。

 

設計と現場で食い違いが発生することは当たり前にあることですが、それは随時情報共有されながら、工事は進んでいくものです。しかし、その食い違いに気が付かずに工事が進んでいることが判明し、「設計側に報告がされていない」と言われた時に、僕の中に怒りの感情が湧いてきて、「設計者はもっと現場をみるべきだ」と感情的に言葉を発してしまいました。不満をためて、時々暴発させる。そのようなことがこれまでにも時々ありました。 

感情的であることを指摘されると、僕の中では、そうやって、問題を僕に向けて相手は僕の言っていることを受け取らない。「卑怯だ」と内心不満をため、別の機会にまた突発的に感情を発する。僕が感情的なのは、相手が受け取らないから当然だ。そうやって自分の問題点を正当化していました。

 

僕の中では、辻褄が合う理由があり、相手は間違っていると思っていました。しかし、過去にこのようなやりとりをしたことを思い出すと、どうやら僕は同じ場所に引っかかってしまっていることに気が付かされました。 

結局、自分の問題点を見ずに、自己正当化するから不満がたまる。自分の側から考えれば、理由はいくらでもつけることは出来ます。そんな未熟な自分に出会い、この大きな節目である秋分を迎えました。

春分に向けて、何を削ぎ落し、何をリニューアルしていくのか。。。 

 

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isadon-konohanafamily.org

人間は、自分の見える目線から判断し、認められるものを正しいとする。それが認められない、もしくは理解できなければ、間違っているとする。その徒党を組んだ極めつけが国家だ。

 

しかし、伝統的な暮らしも、動植物の個性も、地域による文化の違いもすべて多様性を認め合って初めて、平和がある。ところがグローバル化によって、人間の豊かさの価値観が単一化してしまった。そこで、お金があって欲しい物が手に入るアメリカ型豊かさだけが豊かさになっていると、それを阻害するものは悪で、そのようなものたちが築き上げてきた多数決の世界観が正義になっている。それが現代の問題を生んでいるのだ。そのような価値観はこれまで爆発的に広がってきたが、それは地球の多様性という生命世界からしたら、非常に貧しく単一的な世界だ。そのツケが今、世界中に現象化してきているのである。

 

そして、その単一化された価値観を阻害するような今までの動きも、実は宇宙からのメッセージであり、その矛盾を人類に示しているとも言える。「ひずみがあるとこうなるよ」と。逆に、ひずみを消すと悟りに向かっていくのだから、悟りに至ることはある意味味気ない世界とも言える。そういったことを宇宙が教えてくれている。

 

その宇宙の意志が観えるものになること――。それを今の時代に生きる人々に伝えたい。

 

わたしたちは銀河の法則と共に今、ここにいる。そうすると、今、目の前にあることだけを見ていてはいけない。

 

自分の考えだけになった僕に、

歪みは現象として表れました。この多様な世界の中にある他者の考えを認め、尊重し合い、つながることはこの世界の仕組みであり、自然生態系の姿です。

 来月の10月15日、僕が木の花ファミリーのメンバーに成って9年になります。あれこれと自分の頭で考えてきました。自分で考える、それはそれで大切なことです。しかし、本当に理想とするところを目指すならば、僕はこれまで固めてきた自分の考えを手放し、より大きな未知の世界に心を開くことが必要です。

それは自分の考えを否定し、世界の流れに自らを添わせていくことです。

節目という時間の区切りは、意思確認と広い視点を与えてくれます。そして継続することでスイングバイによる、加速。より大きな力をもたらしてくれます。

 

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isadon-konohanafamily.org

いさどん:
軌道修正する方向に意識を向けていくと、その意識は加速しながらタイミングを計り、ベストなタイミングで進むべき方向へと放たれていく。小惑星探査機が地球の軌道から離れて目的地へ向かってスイングバイするためには、地球の公転速度である秒速30km に乗って、それ以上のスピードまで加速する必要がある。同じスピードでい続けたら、ただ地球のまわりをぐるぐる回っているだけになってしまうからね。

人間はそのような優れた叡智を解明し利用しているのだから、やはり魂にもそのような仕組みを取り入れていかないといけない。「物心両面」というからね。

ようこ:
そのためには、先程いさどんが語ったように、群れて、自らの姿をお互いにチェックし合うことが大切だね。

いさどん:
それでお互いを活かしあってね。

ようこ:
そうして精神性を高めていく。

いさどん:
目的がいがみあうことではなく、高まっていくことになければいけない。それも、ひとりの存在が高まるのではなく、皆の意識が高まっていったときに、世界に次のステージが現れる。これ以外の道がどこにありましょうか。

ようこ:
これ以上の突破口がどこにあるのだろうか。それは、無限の可能性の彼方にあるものだね。

いさどん:
それは無限の可能性であり、宇宙の意志だ。地球が宇宙に存在し、時代は宇宙の動きと共に刻まれているのだから、それが人が目覚めるべきところだ。我々は太陽と共に、土と共に、水と共に、空気と共に、風と共に、物心両面で宇宙を歩むものなのだ。

 

心の先端に、どこへ向かうかわからない、

未知へのワクワクを持って、歩んでいきます✩

 

***おわり

流れが観える人になる。

流れを観ていると面白い。

それをみんなに共有できるからさらに面白い。

それをみんながやり始めたら「ここは、どこだろう」の世界になる。

 

流れが観える人になる。

まずはそこから。

 

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心磨きの科学「メタ認知1」〜頭の中のもう1人の自分〜

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こんにちは。 

木の花ファミリーのりょうちんです。

 

今日は「心磨きの科学」と題しまして、シリーズ第1弾は「客観視」を科学的に捉え直してみようと思います。

 科学という、多数の人々によって研究され、積み上げられてきた集合知は、ある程度の確かさと、再現性を持っています。

私たちが日々取り組む心磨きを、科学という視点から改めて捉え直すことで、より核心をついて心磨きに取り組めるのではないかと思います。まずは私たちの日常的な心の動きから見てみましょう。

 

 

ある時、綺麗な花を見つけたとき、綺麗だなぁと思う。そして、美しいって何だろう、と思ったりする。

またある時、つい、お腹が痛くなるくらいご飯を食べてしまった。そして後から、何でこんなに食べてしまったんだろうと考える。

またある時は、なんだか心がモヤモヤする。このモヤモヤは何なんだろうと自分の心を観察してみる。

 

 

もしも、人間の体と同じようなロボットを作ろうとしたら、ロボットの体にはどれだけの数のセンサーが必要になるでしょうか。全身の皮膚感覚だけでも、痛覚、温度覚、触覚などがあります。

綺麗だなと思った感覚を感じるセンサーや、心のモヤモヤを感じるセンサーもあるのでしょう。私たちには、肉体だけでなく、精神にも数限りなくセンサーが張り巡らされています。

さて、その肉体と精神のセンサーを、さらに監視している存在がいるのを、知っていますか?さてどこにいるのでしょうか。それは、、、あなたの頭の中です。

 

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美しいと感じた心を感じていたあなたは、美しいって何だろうと考えました。

お腹が一杯で痛いのを感じたあなたは、なぜそんなに食べてしまったのかを思い出してみました。

心がモヤモヤするのを感じたあなたは、そのモヤモヤがどこから来ているのかを、さぐり始めました。

 

 

私たちの頭の中には、私を観察しているもう1人の私がいます。これを「認知を認知すること」=「メタ認知」と呼びます。「メタ」とは「何かを超えて、高次の」という意味です。木の花ファミリーではこれを「客観視」と呼びます。

自己の認知活動(知覚、情動、記憶、思考など)を客観的に捉え評価した上で制御することである。「認知を認知する」 (cognition about cognition) 、あるいは「知っていることを知っている」(knowing about knowing) ことを意味する。

メタ認知 - 脳科学辞典

これは、私たち人間はただ感覚のおもむくままに生きている存在ではなく、感覚や感情、思考や記憶というものを、少し離れたところから俯瞰して見て、総合的に判断する知性を持つ存在であるということを意味しています。

 

ブロトピ:自分磨き日記~♪

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※木の花ファミリーのアンテナショップ「ロータスランド」は5月5日にグランドオープンしました。


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学問のススメ

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※誕生日祝いに頂いた白いイチゴ入りのイチゴパフェ

 

学ぶことには、実践的学習と論理的学習があると思います。今、実践的の対義語を調べると、論理的でしたのであってると思います。

私たちは、このコミュニティの生活の中で心磨きという実践的学習をしています。ミーティングでは、世界観を学ぶ理論的学習と、場づくりという実践的学習があります。とてもざっくりとした切り分けですが。

 

僕は以前、「心塾」という学びの場を作りたいと提案しました。これは、理論的学習の場ですが、ミーティングでの世界観を学ぶ場とは少し違います。

ミーティングで語られる世界観は、ヒフミヨイムナヤコトの一番元になる「ヒ」だと思います。私たちがどこを目指しているのか、というブレない根本の柱です。現実にはそこに至るまでのトからヒまでの階段をつないでいかなくては言行不一致になります。

 

僕が提案する学びの場は、一番の末端から一番元を目指す、積み上げていく理論的な学びの場です。

このコミュニティの現状は、何かある出来事で一気に解決されるものではなく、一人一人がヒフミヨイムナヤコトと、天と地を繋がなくては成っていかない状況であることは、みんなわかっていることと思います。

一人一人が着実に階段を上がっていけるよう、その補助としての理論の学習の場を作りたいと思います。

ちなみに、知識的学習(理論的)に対して批判的な人もいるかもしれませんが、「知識は行動を支える」と言うのが僕の思うところです。以下、僕が考える知識(理論)の効果です。

 

  • 行動のための知識

知識や経験は満たされると、閃きや直感が湧いてきます。(これには異論があるかもしれませんが)湧いてくることで、私たちは行動できる。

  • 意欲のための知識

知識は探究心や好奇心を刺激してくれます。私たちは、他者からの刺激によってではなく、自らの意欲によって学ぶことが、本来の生きる歓びです。

  • 物差しとしての知識

私たちを取り巻く世界は、複雑です。知識は世界を測る物差しになり、複雑な世界を整頓してくれます。これは、思考を明快にするためには必要なことです。

 


さて、参加する人がいるかどうかは分かりませんが、下記が今考えているテーマになります。基本的には科学的研究を土台として、私たちの心磨きの実践につなげていきたいと思っています。

 

私たちには生来、感覚、感情、思考、記憶などを認識しながら、それを離れたところから総合的に見ている視点が備わっています。これは、私たちの言葉で言うところの客観視になります。

自己の認知活動(知覚、情動、記憶、思考など)を客観的に捉え評価した上で制御することである。「認知を認知する」、あるいは「知っていることを知っている」ことを意味する。ー脳科学辞典よりー

 

  • 社会脳(調和の心)

私たち人間は、集団や社会を作ります。そのために欠かせないのが他者とつながる社会的活動である、共感や他者理解、自己認識、自己コントロールなとです。


まずは心の部分だけを取り上げましたが、社会情勢や、国際情勢、人類史や生命史も取り上げていきたいと思っています。