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やゆよのあゆみ

コミュニティという生き方から、心と世界の情報を発信します。

心磨きの科学「メタ認知1」〜頭の中のもう1人の自分〜

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こんにちは。 

木の花ファミリーのりょうちんです。

 

今日は「心磨きの科学」と題しまして、シリーズ第1弾は「客観視」を科学的に捉え直してみようと思います。

 科学という、多数の人々によって研究され、積み上げられてきた集合知は、ある程度の確かさと、再現性を持っています。

私たちが日々取り組む心磨きを、科学という視点から改めて捉え直すことで、より核心をついて心磨きに取り組めるのではないかと思います。まずは私たちの日常的な心の動きから見てみましょう。

 

 

ある時、綺麗な花を見つけたとき、綺麗だなぁと思う。そして、美しいって何だろう、と思ったりする。

またある時、つい、お腹が痛くなるくらいご飯を食べてしまった。そして後から、何でこんなに食べてしまったんだろうと考える。

またある時は、なんだか心がモヤモヤする。このモヤモヤは何なんだろうと自分の心を観察してみる。

 

 

もしも、人間の体と同じようなロボットを作ろうとしたら、ロボットの体にはどれだけの数のセンサーが必要になるでしょうか。全身の皮膚感覚だけでも、痛覚、温度覚、触覚などがあります。

綺麗だなと思った感覚を感じるセンサーや、心のモヤモヤを感じるセンサーもあるのでしょう。私たちには、肉体だけでなく、精神にも数限りなくセンサーが張り巡らされています。

さて、その肉体と精神のセンサーを、さらに監視している存在がいるのを、知っていますか?さてどこにいるのでしょうか。それは、、、あなたの頭の中です。

 

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美しいと感じた心を感じていたあなたは、美しいって何だろうと考えました。

お腹が一杯で痛いのを感じたあなたは、なぜそんなに食べてしまったのかを思い出してみました。

心がモヤモヤするのを感じたあなたは、そのモヤモヤがどこから来ているのかを、さぐり始めました。

 

 

私たちの頭の中には、私を観察しているもう1人の私がいます。これを「認知を認知すること」=「メタ認知」と呼びます。「メタ」とは「何かを超えて、高次の」という意味です。木の花ファミリーではこれを「客観視」と呼びます。

自己の認知活動(知覚、情動、記憶、思考など)を客観的に捉え評価した上で制御することである。「認知を認知する」 (cognition about cognition) 、あるいは「知っていることを知っている」(knowing about knowing) ことを意味する。

メタ認知 - 脳科学辞典

これは、私たち人間はただ感覚のおもむくままに生きている存在ではなく、感覚や感情、思考や記憶というものを、少し離れたところから俯瞰して見て、総合的に判断する知性を持つ存在であるということを意味しています。

 

ブロトピ:自分磨き日記~♪

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※木の花ファミリーのアンテナショップ「ロータスランド」は5月5日にグランドオープンしました。


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学問のススメ

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※誕生日祝いに頂いた白いイチゴ入りのイチゴパフェ

 

学ぶことには、実践的学習と論理的学習があると思います。今、実践的の対義語を調べると、論理的でしたのであってると思います。

私たちは、このコミュニティの生活の中で心磨きという実践的学習をしています。ミーティングでは、世界観を学ぶ理論的学習と、場づくりという実践的学習があります。とてもざっくりとした切り分けですが。

 

僕は以前、「心塾」という学びの場を作りたいと提案しました。これは、理論的学習の場ですが、ミーティングでの世界観を学ぶ場とは少し違います。

ミーティングで語られる世界観は、ヒフミヨイムナヤコトの一番元になる「ヒ」だと思います。私たちがどこを目指しているのか、というブレない根本の柱です。現実にはそこに至るまでのトからヒまでの階段をつないでいかなくては言行不一致になります。

 

僕が提案する学びの場は、一番の末端から一番元を目指す、積み上げていく理論的な学びの場です。

このコミュニティの現状は、何かある出来事で一気に解決されるものではなく、一人一人がヒフミヨイムナヤコトと、天と地を繋がなくては成っていかない状況であることは、みんなわかっていることと思います。

一人一人が着実に階段を上がっていけるよう、その補助としての理論の学習の場を作りたいと思います。

ちなみに、知識的学習(理論的)に対して批判的な人もいるかもしれませんが、「知識は行動を支える」と言うのが僕の思うところです。以下、僕が考える知識(理論)の効果です。

 

  • 行動のための知識

知識や経験は満たされると、閃きや直感が湧いてきます。(これには異論があるかもしれませんが)湧いてくることで、私たちは行動できる。

  • 意欲のための知識

知識は探究心や好奇心を刺激してくれます。私たちは、他者からの刺激によってではなく、自らの意欲によって学ぶことが、本来の生きる歓びです。

  • 物差しとしての知識

私たちを取り巻く世界は、複雑です。知識は世界を測る物差しになり、複雑な世界を整頓してくれます。これは、思考を明快にするためには必要なことです。

 


さて、参加する人がいるかどうかは分かりませんが、下記が今考えているテーマになります。基本的には科学的研究を土台として、私たちの心磨きの実践につなげていきたいと思っています。

 

私たちには生来、感覚、感情、思考、記憶などを認識しながら、それを離れたところから総合的に見ている視点が備わっています。これは、私たちの言葉で言うところの客観視になります。

自己の認知活動(知覚、情動、記憶、思考など)を客観的に捉え評価した上で制御することである。「認知を認知する」、あるいは「知っていることを知っている」ことを意味する。ー脳科学辞典よりー

 

  • 社会脳(調和の心)

私たち人間は、集団や社会を作ります。そのために欠かせないのが他者とつながる社会的活動である、共感や他者理解、自己認識、自己コントロールなとです。


まずは心の部分だけを取り上げましたが、社会情勢や、国際情勢、人類史や生命史も取り上げていきたいと思っています。

 

 

僕と世界が調和する道

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ロータスランドの屋根から池に飛び込もうとする僕

 

ここのところ書き続けている「個と全体の調和」や「個性と社会性の調和」についての話は、実はここ4.5年の、僕自身の心の課題なのです。

その課題とは、自分の特徴である、長所で言えば「探究心の強さ」、短所で言えば「こだわりの強さ」というものを、どうやってこのコミュニティの中で、社会の中で、調和的に発揮していくかというものです。

 

 

丁度、4月19日、僕の誕生日に、それに関わる出来事がありました。それは今、木の花ファミリーのアンテナショップになっているロータスランドに、第2駐車場の案内看板を作るための打ち合わせの時のことです。「5分10分で終わる話だと思ったけど、どうしてあんなに時間がかかったのかな」と打ち合わせの後で、相手のようこちゃんから伝えられました。

建築設計を大学で専攻していたため、見やすさと美しさが求められる案内表示、サインのデザインに対して面白みを感じていました。そのデザインに対する関心が、僕の中に「この方が良い」という強い発想が生まれ、結果として意見のすり合わせに時間がかかってしまいました。

特に美しさや分かり易さといった、個人の感覚や認識によって差が生じやすいデザインに関わるものは、意見の食い違いは起こりがちです。その分、自分の感覚と他者の感覚の違いが知れる良い機会でもあり、面白みもあります。

 

 

自分が何に興味があり、それが他者や社会にとって、有益(探究心)なのか、有害(こだわり)なのか。また、他者との認識の差はどうして生まれたのか。そういったことを振り返ることで、次の自分が取り組むべき、具体的な方向が見えてきます。

僕の場合は、美しさや分かり易さという、感覚や認識の個人差をどのように埋めていくかに、興味を向けて探求していくことで、自分自身の特徴を生かし、有益な存在に変えていくことができます。

そうやって、ある一瞬の出来事を分析してつなげていくことで、点と点が線で結ばれ、自分の人格や、仕事の取り組み方という目に見えないものが見えてきます。そしてそれにどのように取り組んでいけばいいかも自然と見えてきます。

 

 

人間には、目に見えるものだけでなく、その背景にあるものや存在、構造や法則を見ることが出来る能力があります。それが宗教や科学といったこの世界の認識、他者理解や自己認識という個性の認識を支えています。

新しいことに挑戦することで、必ず間違いや問題事に出会います。それは、今まで自覚していなかった自分の性質を認識する機会です。その出来事を客観的に振り返ることで、より現実と整合性の取れた自己イメージを認識をすることが出来るようになります。

この世界の調和は、自分と世界との調和によってもたらされます。それは、世界の中で自分がどのような偏りを持っているのかを知ることから始まるのです。

個性の表現が全体の調和を保つ


みかちゃんの描いた、一根と六根の世界の絵です。

 

私たちは、なんとなく「そうだね」と答えるとき、本当に自分のことがわかっているのでしょうか。

 

 

子供達と接した時に出てくる言葉や感情から、驚きとともに自分を発見する。

久しぶりに実家に帰った時に、親兄弟と接した時に湧いてくる言葉から、自分を発見する。

仕事を教えたり、心の話を伝えたりする時の、自分の心の動きから、自分を発見する。

思いもしない失敗から、自分が思っていた自分像と違う自分を発見する。

 

 

私たちの心の中には、多様な人格が存在しています。親としての、子としての、上司としての、部下としての、兄としての、弟としての、時には誰かと暖炉の火を囲んでいるときの人格なんてのもあるように思います。

 

その多様な人格は、不思議なことに、自分の外に表現しないと自己認識できません。自己認識の難しさは、認知の構造が原因だと言われていますが、要するに出すことでしか自分を知ることができない、というのが私たち人間の性質です。

 

そういった多様な人格が、自分の中にあることを自覚できるようになると、自分というひとりの人間と上手に付き合っていけるようになります。

 

例えば、なぜ今自分が怒っているのかが分からず怒っていると、感情がおさまりませんが、その理由がわかると、自然と落ち着きます。それは、自己認識が自己コントロールに直結している証拠です。

 

そこで重要なのは、自分との上手な付き合い方が、自己認識であるのと同じように、私たちという「場」との上手な付き合い方もまた、自己認識なのです。

 

「場」に存在する人がどのような考えを持っているかを理解することで初めて、私たちはその「場」がどういう方向に進めば良いかが分かるのです。

 

ひとりの人の心の健全さが、自己認識によってもたらされるのと同じように、ひとつのコミュニティの健全さも、一人一人が意思表明するという集団認識によってもたらされています。

 

そこには、個性の表現が、全体の健全さを保つという、この多様な世界の不思議な仕組みが存在します。ひとりひとりが、自分の個性というライトで世界を照らすことが、この世界を桃源郷に向かわせていくのです。

感情は個性を磨く原動力

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 ※木の花ファミリーの子供達

 

自己観察において、感情は非常に重要でわかりやすいセンサーになる。それについては、また後に書くとして、今回は新しいことに取り組む際の、感情の役割について話してみたい。

 

子供を観察していればわかることだが、子供は新しいものに自然と興味を持つ。好奇心の塊であり、新しいもの、新しいことをどんどん吸収し自分の世界を広げようとする。

 

同時に大人と比べて、感情の起伏も豊かだ。怒られれば泣くし、嬉しければ喜ぶ。怪我をしても、恐れず新しいことに挑戦し続ける。子供の新しいことにどんどん挑戦するチャレンジスピリットは、感情の豊かさに支えられている。

 

恐怖を超えて戦いに挑む時の闘争心、子供が新しいものに挑戦する好奇心や冒険心、このような感情は、変化を求める際に、変化に対するリスクを超えるための勢いを与えてくれる。また、ショックな出来事も悲しみの感情によって、整理され、強く脳に記憶される。

 

このように、感情は変化の激しい環境に適応するために非常に重要な役割を果たす。それは大人を観察していても、感情豊かな人は比較的チャレンジスピリットが強い傾向にあることからもわかるだろう。

 

私たちが、変化を求め、より個性的に生きたいと思うのならば、自分の感情をよく観察し、何にワクワクするのかを知ることで、自分自身の個性の方向を発見することができる。好奇心や冒険心、闘争心は、私たちの個性を磨くための原動力になる。

「みんな一緒」と「みんな違う」

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※肋骨にヒビがはいったじゅんぞうくんと桜

 

個性的になるということは、突き抜けるということです。突き抜けるということは、現状を突き破り、ある部分において飛び出すという事です。

 

現状を突き破るには勇気がいります。現状維持という安心感は、生物の生存には欠かせないものであり、木の花ファミリーの「みんな一緒」には懐かしさすら感じる抱擁感があるからです。

 

しかし、横並びの「みんな一緒」には多様性がありません。多様性はそれぞれの個性が際立った「みんな違う」という世界です。「みんな一緒」は安定を生み出し、「みんな違う」は変化を生み出します。

 

私たちは、安定的に人間社会や、コミュニティを成り立たせ、一方で時代の変化に適応できるように、私たち自身も変化していかなければ、人類は生きていくことはできません。

 

それは人間に限らず、生物の進化が、種を存続させながら、環境に適応するために変化してきたことからしても理解できることです。つまり、安定と変化の両立は、この世界の法則なのです。

 

「みんな一緒」という安心感を勇気を持って突き破り、「みんな違う」けどコミュニティとして成り立っている。そういう世界を作ることが人類に対しての見本であり、進化の道筋に沿っているのです。

学ぶことについて

 

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※写真は関係ありません。かわいいから載せました。

 

何かを学習する際に、必要なことは記憶することと、思い出すことです。出来事の重要なポイントをしっかり記憶し、必要なタイミングで思い出す。ざっくりですが、それだけです。

 

そこでひとつの山場になるのが、出来事という大量の情報の中から、重要なポイントを抜き出すことです。それを、分析と言いますが、分析には感情はまったく必要ありません。

 

ネガティブもポジティブもヤバイという感情も必要ありません。ただ淡々と分析し、「なるほど、これならやれるぞ。」という実感が湧くポイントを自分で見つけ出すことです。

 

その実感があると、自然と前向きな感情が湧いてくるのですが、それは前向きになろうとしてなるものではないのです。

 

ただし、あまりにも学習しない人に対して、外から圧力がかけられることがあって、圧力がかかったことで、当人には反発や落ち込みなど様々な感情が湧いてきますが、そういった感情を与えることが目的ではなく、それはその人が学習するために背中を押しているだけなのです。

 

だからその意図を受け取ったら、あとは淡々と出来事を分析し、「これなら次に活かせるぞ」という実感を持って次に生かして行くだけなのです。

 

それを、ただ明るいとか暗いとか感情のところだけで判断しない方がいいということが言いたいことのひとつです。

 

もうひとつは、しっかり自分で考えないと、「よし、これならやれるぞ」という実感や前向きな感情は湧いてこないということです。誰かのアドバイスに乗っかって次へ行こうとする人がいますが、これもひとつの落とし穴です。


以上です