やゆよのあゆみ

コミュニティという生き方から、心と世界の情報を発信します。

節目のトキに、意識を重ねて加速する。

9月23日、秋分です。(でした。)

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木の花ファミリーでは、マコモ畑で1日千本ものマコモが収穫され、近くの大富士さんでは、焼きたての焼きマコモが販売されています。マコモは健康食品として有名ですが、焼きマコモの優しい甘さは、気がつけばつい3,4本も食べてしまう美味しさです。

  

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太陽系時空間地図 地球暦 HELIOCOMPASS

太陽を中心とした暦、地球暦では、秋分は「陽と陰の切り替わり」です。

春が種まきなら、秋は収穫、春からの積み重ねが秋に表れ、その結果をまた次の春に生かしていくための準備期間がこれから始まります。それは、物理的な農作業に限らず、陽の時期の成果を、陰の時期に振り返り、また次の一年へと生かしていく、星と生命のサイクルです。

 

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そんな中、

建築チームで現場監督を任されている僕は、ある出来事に出会いました。それは、昼食時の打ち合わせ、なんでもない話の中であったことです。

 

設計と現場で食い違いが発生することは当たり前にあることですが、それは随時情報共有されながら、工事は進んでいくものです。しかし、その食い違いに気が付かずに工事が進んでいることが判明し、「設計側に報告がされていない」と言われた時に、僕の中に怒りの感情が湧いてきて、「設計者はもっと現場をみるべきだ」と感情的に言葉を発してしまいました。不満をためて、時々暴発させる。そのようなことがこれまでにも時々ありました。 

感情的であることを指摘されると、僕の中では、そうやって、問題を僕に向けて相手は僕の言っていることを受け取らない。「卑怯だ」と内心不満をため、別の機会にまた突発的に感情を発する。僕が感情的なのは、相手が受け取らないから当然だ。そうやって自分の問題点を正当化していました。

 

僕の中では、辻褄が合う理由があり、相手は間違っていると思っていました。しかし、過去にこのようなやりとりをしたことを思い出すと、どうやら僕は同じ場所に引っかかってしまっていることに気が付かされました。 

結局、自分の問題点を見ずに、自己正当化するから不満がたまる。自分の側から考えれば、理由はいくらでもつけることは出来ます。そんな未熟な自分に出会い、この大きな節目である秋分を迎えました。

春分に向けて、何を削ぎ落し、何をリニューアルしていくのか。。。 

 

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isadon-konohanafamily.org

人間は、自分の見える目線から判断し、認められるものを正しいとする。それが認められない、もしくは理解できなければ、間違っているとする。その徒党を組んだ極めつけが国家だ。

 

しかし、伝統的な暮らしも、動植物の個性も、地域による文化の違いもすべて多様性を認め合って初めて、平和がある。ところがグローバル化によって、人間の豊かさの価値観が単一化してしまった。そこで、お金があって欲しい物が手に入るアメリカ型豊かさだけが豊かさになっていると、それを阻害するものは悪で、そのようなものたちが築き上げてきた多数決の世界観が正義になっている。それが現代の問題を生んでいるのだ。そのような価値観はこれまで爆発的に広がってきたが、それは地球の多様性という生命世界からしたら、非常に貧しく単一的な世界だ。そのツケが今、世界中に現象化してきているのである。

 

そして、その単一化された価値観を阻害するような今までの動きも、実は宇宙からのメッセージであり、その矛盾を人類に示しているとも言える。「ひずみがあるとこうなるよ」と。逆に、ひずみを消すと悟りに向かっていくのだから、悟りに至ることはある意味味気ない世界とも言える。そういったことを宇宙が教えてくれている。

 

その宇宙の意志が観えるものになること――。それを今の時代に生きる人々に伝えたい。

 

わたしたちは銀河の法則と共に今、ここにいる。そうすると、今、目の前にあることだけを見ていてはいけない。

 

自分の考えだけになった僕に、

歪みは現象として表れました。この多様な世界の中にある他者の考えを認め、尊重し合い、つながることはこの世界の仕組みであり、自然生態系の姿です。

 来月の10月15日、僕が木の花ファミリーのメンバーに成って9年になります。あれこれと自分の頭で考えてきました。自分で考える、それはそれで大切なことです。しかし、本当に理想とするところを目指すならば、僕はこれまで固めてきた自分の考えを手放し、より大きな未知の世界に心を開くことが必要です。

それは自分の考えを否定し、世界の流れに自らを添わせていくことです。

節目という時間の区切りは、意思確認と広い視点を与えてくれます。そして継続することでスイングバイによる、加速。より大きな力をもたらしてくれます。

 

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isadon-konohanafamily.org

いさどん:
軌道修正する方向に意識を向けていくと、その意識は加速しながらタイミングを計り、ベストなタイミングで進むべき方向へと放たれていく。小惑星探査機が地球の軌道から離れて目的地へ向かってスイングバイするためには、地球の公転速度である秒速30km に乗って、それ以上のスピードまで加速する必要がある。同じスピードでい続けたら、ただ地球のまわりをぐるぐる回っているだけになってしまうからね。

人間はそのような優れた叡智を解明し利用しているのだから、やはり魂にもそのような仕組みを取り入れていかないといけない。「物心両面」というからね。

ようこ:
そのためには、先程いさどんが語ったように、群れて、自らの姿をお互いにチェックし合うことが大切だね。

いさどん:
それでお互いを活かしあってね。

ようこ:
そうして精神性を高めていく。

いさどん:
目的がいがみあうことではなく、高まっていくことになければいけない。それも、ひとりの存在が高まるのではなく、皆の意識が高まっていったときに、世界に次のステージが現れる。これ以外の道がどこにありましょうか。

ようこ:
これ以上の突破口がどこにあるのだろうか。それは、無限の可能性の彼方にあるものだね。

いさどん:
それは無限の可能性であり、宇宙の意志だ。地球が宇宙に存在し、時代は宇宙の動きと共に刻まれているのだから、それが人が目覚めるべきところだ。我々は太陽と共に、土と共に、水と共に、空気と共に、風と共に、物心両面で宇宙を歩むものなのだ。

 

心の先端に、どこへ向かうかわからない、

未知へのワクワクを持って、歩んでいきます✩

 

***おわり

流れが観える人になる。

流れを観ていると面白い。

それをみんなに共有できるからさらに面白い。

それをみんながやり始めたら「ここは、どこだろう」の世界になる。

 

流れが観える人になる。

まずはそこから。

 

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個と全体の関係図

「あなたなら、この緑の四角の中に、どんな言葉を、どう配置しますか?」

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心磨きの科学「メタ認知1」〜頭の中のもう1人の自分〜

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こんにちは。 

木の花ファミリーのりょうちんです。

 

今日は「心磨きの科学」と題しまして、シリーズ第1弾は「客観視」を科学的に捉え直してみようと思います。

 科学という、多数の人々によって研究され、積み上げられてきた集合知は、ある程度の確かさと、再現性を持っています。

私たちが日々取り組む心磨きを、科学という視点から改めて捉え直すことで、より核心をついて心磨きに取り組めるのではないかと思います。まずは私たちの日常的な心の動きから見てみましょう。

 

 

ある時、綺麗な花を見つけたとき、綺麗だなぁと思う。そして、美しいって何だろう、と思ったりする。

またある時、つい、お腹が痛くなるくらいご飯を食べてしまった。そして後から、何でこんなに食べてしまったんだろうと考える。

またある時は、なんだか心がモヤモヤする。このモヤモヤは何なんだろうと自分の心を観察してみる。

 

 

もしも、人間の体と同じようなロボットを作ろうとしたら、ロボットの体にはどれだけの数のセンサーが必要になるでしょうか。全身の皮膚感覚だけでも、痛覚、温度覚、触覚などがあります。

綺麗だなと思った感覚を感じるセンサーや、心のモヤモヤを感じるセンサーもあるのでしょう。私たちには、肉体だけでなく、精神にも数限りなくセンサーが張り巡らされています。

さて、その肉体と精神のセンサーを、さらに監視している存在がいるのを、知っていますか?さてどこにいるのでしょうか。それは、、、あなたの頭の中です。

 

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美しいと感じた心を感じていたあなたは、美しいって何だろうと考えました。

お腹が一杯で痛いのを感じたあなたは、なぜそんなに食べてしまったのかを思い出してみました。

心がモヤモヤするのを感じたあなたは、そのモヤモヤがどこから来ているのかを、さぐり始めました。

 

 

私たちの頭の中には、私を観察しているもう1人の私がいます。これを「認知を認知すること」=「メタ認知」と呼びます。「メタ」とは「何かを超えて、高次の」という意味です。木の花ファミリーではこれを「客観視」と呼びます。

自己の認知活動(知覚、情動、記憶、思考など)を客観的に捉え評価した上で制御することである。「認知を認知する」 (cognition about cognition) 、あるいは「知っていることを知っている」(knowing about knowing) ことを意味する。

メタ認知 - 脳科学辞典

これは、私たち人間はただ感覚のおもむくままに生きている存在ではなく、感覚や感情、思考や記憶というものを、少し離れたところから俯瞰して見て、総合的に判断する知性を持つ存在であるということを意味しています。

 

ブロトピ:自分磨き日記~♪

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※木の花ファミリーのアンテナショップ「ロータスランド」は5月5日にグランドオープンしました。


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学問のススメ

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※誕生日祝いに頂いた白いイチゴ入りのイチゴパフェ

 

学ぶことには、実践的学習と論理的学習があると思います。今、実践的の対義語を調べると、論理的でしたのであってると思います。

私たちは、このコミュニティの生活の中で心磨きという実践的学習をしています。ミーティングでは、世界観を学ぶ理論的学習と、場づくりという実践的学習があります。とてもざっくりとした切り分けですが。

 

僕は以前、「心塾」という学びの場を作りたいと提案しました。これは、理論的学習の場ですが、ミーティングでの世界観を学ぶ場とは少し違います。

ミーティングで語られる世界観は、ヒフミヨイムナヤコトの一番元になる「ヒ」だと思います。私たちがどこを目指しているのか、というブレない根本の柱です。現実にはそこに至るまでのトからヒまでの階段をつないでいかなくては言行不一致になります。

 

僕が提案する学びの場は、一番の末端から一番元を目指す、積み上げていく理論的な学びの場です。

このコミュニティの現状は、何かある出来事で一気に解決されるものではなく、一人一人がヒフミヨイムナヤコトと、天と地を繋がなくては成っていかない状況であることは、みんなわかっていることと思います。

一人一人が着実に階段を上がっていけるよう、その補助としての理論の学習の場を作りたいと思います。

ちなみに、知識的学習(理論的)に対して批判的な人もいるかもしれませんが、「知識は行動を支える」と言うのが僕の思うところです。以下、僕が考える知識(理論)の効果です。

 

  • 行動のための知識

知識や経験は満たされると、閃きや直感が湧いてきます。(これには異論があるかもしれませんが)湧いてくることで、私たちは行動できる。

  • 意欲のための知識

知識は探究心や好奇心を刺激してくれます。私たちは、他者からの刺激によってではなく、自らの意欲によって学ぶことが、本来の生きる歓びです。

  • 物差しとしての知識

私たちを取り巻く世界は、複雑です。知識は世界を測る物差しになり、複雑な世界を整頓してくれます。これは、思考を明快にするためには必要なことです。

 


さて、参加する人がいるかどうかは分かりませんが、下記が今考えているテーマになります。基本的には科学的研究を土台として、私たちの心磨きの実践につなげていきたいと思っています。

 

私たちには生来、感覚、感情、思考、記憶などを認識しながら、それを離れたところから総合的に見ている視点が備わっています。これは、私たちの言葉で言うところの客観視になります。

自己の認知活動(知覚、情動、記憶、思考など)を客観的に捉え評価した上で制御することである。「認知を認知する」、あるいは「知っていることを知っている」ことを意味する。ー脳科学辞典よりー

 

  • 社会脳(調和の心)

私たち人間は、集団や社会を作ります。そのために欠かせないのが他者とつながる社会的活動である、共感や他者理解、自己認識、自己コントロールなとです。


まずは心の部分だけを取り上げましたが、社会情勢や、国際情勢、人類史や生命史も取り上げていきたいと思っています。

 

 

僕と世界が調和する道

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ロータスランドの屋根から池に飛び込もうとする僕

 

ここのところ書き続けている「個と全体の調和」や「個性と社会性の調和」についての話は、実はここ4.5年の、僕自身の心の課題なのです。

その課題とは、自分の特徴である、長所で言えば「探究心の強さ」、短所で言えば「こだわりの強さ」というものを、どうやってこのコミュニティの中で、社会の中で、調和的に発揮していくかというものです。

 

 

丁度、4月19日、僕の誕生日に、それに関わる出来事がありました。それは今、木の花ファミリーのアンテナショップになっているロータスランドに、第2駐車場の案内看板を作るための打ち合わせの時のことです。「5分10分で終わる話だと思ったけど、どうしてあんなに時間がかかったのかな」と打ち合わせの後で、相手のようこちゃんから伝えられました。

建築設計を大学で専攻していたため、見やすさと美しさが求められる案内表示、サインのデザインに対して面白みを感じていました。そのデザインに対する関心が、僕の中に「この方が良い」という強い発想が生まれ、結果として意見のすり合わせに時間がかかってしまいました。

特に美しさや分かり易さといった、個人の感覚や認識によって差が生じやすいデザインに関わるものは、意見の食い違いは起こりがちです。その分、自分の感覚と他者の感覚の違いが知れる良い機会でもあり、面白みもあります。

 

 

自分が何に興味があり、それが他者や社会にとって、有益(探究心)なのか、有害(こだわり)なのか。また、他者との認識の差はどうして生まれたのか。そういったことを振り返ることで、次の自分が取り組むべき、具体的な方向が見えてきます。

僕の場合は、美しさや分かり易さという、感覚や認識の個人差をどのように埋めていくかに、興味を向けて探求していくことで、自分自身の特徴を生かし、有益な存在に変えていくことができます。

そうやって、ある一瞬の出来事を分析してつなげていくことで、点と点が線で結ばれ、自分の人格や、仕事の取り組み方という目に見えないものが見えてきます。そしてそれにどのように取り組んでいけばいいかも自然と見えてきます。

 

 

人間には、目に見えるものだけでなく、その背景にあるものや存在、構造や法則を見ることが出来る能力があります。それが宗教や科学といったこの世界の認識、他者理解や自己認識という個性の認識を支えています。

新しいことに挑戦することで、必ず間違いや問題事に出会います。それは、今まで自覚していなかった自分の性質を認識する機会です。その出来事を客観的に振り返ることで、より現実と整合性の取れた自己イメージを認識をすることが出来るようになります。

この世界の調和は、自分と世界との調和によってもたらされます。それは、世界の中で自分がどのような偏りを持っているのかを知ることから始まるのです。

個性の表現が全体の調和を保つ


みかちゃんの描いた、一根と六根の世界の絵です。

 

私たちは、なんとなく「そうだね」と答えるとき、本当に自分のことがわかっているのでしょうか。

 

 

子供達と接した時に出てくる言葉や感情から、驚きとともに自分を発見する。

久しぶりに実家に帰った時に、親兄弟と接した時に湧いてくる言葉から、自分を発見する。

仕事を教えたり、心の話を伝えたりする時の、自分の心の動きから、自分を発見する。

思いもしない失敗から、自分が思っていた自分像と違う自分を発見する。

 

 

私たちの心の中には、多様な人格が存在しています。親としての、子としての、上司としての、部下としての、兄としての、弟としての、時には誰かと暖炉の火を囲んでいるときの人格なんてのもあるように思います。

 

その多様な人格は、不思議なことに、自分の外に表現しないと自己認識できません。自己認識の難しさは、認知の構造が原因だと言われていますが、要するに出すことでしか自分を知ることができない、というのが私たち人間の性質です。

 

そういった多様な人格が、自分の中にあることを自覚できるようになると、自分というひとりの人間と上手に付き合っていけるようになります。

 

例えば、なぜ今自分が怒っているのかが分からず怒っていると、感情がおさまりませんが、その理由がわかると、自然と落ち着きます。それは、自己認識が自己コントロールに直結している証拠です。

 

そこで重要なのは、自分との上手な付き合い方が、自己認識であるのと同じように、私たちという「場」との上手な付き合い方もまた、自己認識なのです。

 

「場」に存在する人がどのような考えを持っているかを理解することで初めて、私たちはその「場」がどういう方向に進めば良いかが分かるのです。

 

ひとりの人の心の健全さが、自己認識によってもたらされるのと同じように、ひとつのコミュニティの健全さも、一人一人が意思表明するという集団認識によってもたらされています。

 

そこには、個性の表現が、全体の健全さを保つという、この多様な世界の不思議な仕組みが存在します。ひとりひとりが、自分の個性というライトで世界を照らすことが、この世界を桃源郷に向かわせていくのです。