個性の表現が全体の調和を保つ
※みかちゃんの描いた、一根と六根の世界の絵です。
私たちは、なんとなく「そうだね」と答えるとき、本当に自分のことがわかっているのでしょうか。
子供達と接した時に出てくる言葉や感情から、驚きとともに自分を発見する。
久しぶりに実家に帰った時に、親兄弟と接した時に湧いてくる言葉から、自分を発見する。
仕事を教えたり、心の話を伝えたりする時の、自分の心の動きから、自分を発見する。
思いもしない失敗から、自分が思っていた自分像と違う自分を発見する。
私たちの心の中には、多様な人格が存在しています。親としての、子としての、上司としての、部下としての、兄としての、弟としての、時には誰かと暖炉の火を囲んでいるときの人格なんてのもあるように思います。
その多様な人格は、不思議なことに、自分の外に表現しないと自己認識できません。自己認識の難しさは、認知の構造が原因だと言われていますが、要するに出すことでしか自分を知ることができない、というのが私たち人間の性質です。
そういった多様な人格が、自分の中にあることを自覚できるようになると、自分というひとりの人間と上手に付き合っていけるようになります。
例えば、なぜ今自分が怒っているのかが分からず怒っていると、感情がおさまりませんが、その理由がわかると、自然と落ち着きます。それは、自己認識が自己コントロールに直結している証拠です。
そこで重要なのは、自分との上手な付き合い方が、自己認識であるのと同じように、私たちという「場」との上手な付き合い方もまた、自己認識なのです。
「場」に存在する人がどのような考えを持っているかを理解することで初めて、私たちはその「場」がどういう方向に進めば良いかが分かるのです。
ひとりの人の心の健全さが、自己認識によってもたらされるのと同じように、ひとつのコミュニティの健全さも、一人一人が意思表明するという集団認識によってもたらされています。
そこには、個性の表現が、全体の健全さを保つという、この多様な世界の不思議な仕組みが存在します。ひとりひとりが、自分の個性というライトで世界を照らすことが、この世界を桃源郷に向かわせていくのです。