気付きの連続の中に、神は存在する
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2017年2月10日
以下は僕の返信文です。
ーーーーー
神は存在する。一人ひとりの人生の中に。人とこの世界との関わりの中に生まれる。それはセレンディピティというこの世界から与えられる小さな気付きの連続の中にある。
どのような宗教も、時代の流れの中で、その時代に必要とされる価値観を中心として、教義や世界観を作ってきた。
部族ごとの祖霊や守護神は、帝国になれば神話の中の一人の神に、巨大な国家になれば愛や慈悲など普遍性を持った教義に変化してきた。
全ての宗教は、時代に必要とされた価値観に合わせて成り立っている。それは意図して作られたのではなく、その時代に生きる人間と世界の関係性の中から、創造的なプロセスを持って生まれてきた。
必要な問いは、神は存在するかどうかではなく、新しい時代には、新しい信仰のあり方があるということだ。それを模索しなければならない。
そして模索は、どこかを探し回るのではなく、目の前の今この瞬間に与えられていることに気づくことである。その気付きの連続の中に、物語が生まれ、歩みは道となる。
その道は、独りよがりのものでもなく、かといって誰かに決定されるものでもない。
自身を含めたみんなが幸せになる道であり、それは自己中心的な自我にまみれては見えない道である。
自我を超えて、自身と他者が幸せになれる最適解を見出すプロセスもまた創造的なのだが、その創造の連続、セレンディピティの気付きの連続の中に、神は存在する。
おわり