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やゆよのあゆみ

コミュニティという生き方から、心と世界の情報を発信します。

いただく心と創造性

いただく心とは、自分以外のものに対する敬意の心である。

 

自分以外のものに対する敬意があると、何か疑問や問題に出会った時、ふとした出来事から答えがもらえる。そういった偶然の幸運な出会いをセレンディピティというそうだ。

 



自らの小ささを知るために、世界の奥深さを知ろう。

自分の能力をはるかに超えた、偉大なものを知る人は、謙虚で創造的だ。

 

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1ヶ月間の真学校@木の花ファミリー – “天然循環” という生き方

 

 

 

イキイキと生きる

幸せになりたくない人は、なかなかいないと思うけど、何が幸せかは人それぞれ。

 

例えば、新しいことにチャレンジして成長し続けることで、日々をイキイキと生きている。そんな毎日もひとつの幸せ。

 

 

課題とスキルが高い状態で一致している時、仕事でもなんでも、時間を忘れて夢中になれる。目の前の今この瞬間に集中して生きている。

 

フローやゾーンに達することを目指す創造者やアスリートは、今までの自分と異なる自分へのステップを上がることの恐怖を克服しなければならない。

 

自らを常に次のステップに押し上げていくこと、自分に適度な負荷をかけ続けていくことが、イキイキと充実した日々をおくるためにはとても大切だということ。

 

 

群れの精神  -いさどんブログへの返信-

以下は、いさどんブログ「瞬間瞬間がオリジナル ~ 群れが個人を目覚めさせる」を読んで、僕の中から湧いてきた返信文です。

 

isadon-konohanafamily.org

だからこれからの時代は、個人が群れの中に暮らすのは生きるためではなく、目覚めるためだ。
群れの生活形態が個人を目覚めさせる。全体性を学び、エゴを洗い流し、世界の構造を理解するために、群れの暮らしが必要になる。群れて生きた結果、個人はそれぞれの歩みや個性にふさわしく目覚めていく。そしてそれぞれの事情を生かしながら、全体を創っていく。

 

 

私たちは、あらゆるものの共同体です。生物は細胞の共同体であり、人類は個人の共同体です。そして、細胞はDNAの共同体でもあると言われています。今人類が行き当たっている壁は、私たちの心の中にある自我です。その自我が何であるのかを知るためには、人類の歴史だけでなく、生命の歴史を振り返る必要があります。その歴史とは進化の歴史です。

 

私たちの進化の歴史は、私たちの体を構成するすべての細胞に、DNAとしてひとつひとつに刻まれています。ところが私たちのDNAの90~97パーセントがジャンクDNAと言われています。しかしそれはゴミではありません。ジャンクDNAも含めてすべて私たちの進化の履歴であり、可能性の引き出しなのです。

 

例えば、私たちが相手の痛みを理解するという「共感」を感じる時、痛覚系の脳回路が働いていることがわかっています。痛覚という感覚回路は、元々は肉体を守るためのセンサーとして生まれました。それを、他者に同化し理解するためにも再利用しているということなのです。そしてさらに面白いことに、私たちが物に対して「勿体無い」と感じるときにも痛覚が働いています。

 

勿体無い精神は、古くから日本人の心に刻まれています。日本江戸時代は、究極のリサイクル社会だと言われていますが、修理業、回収業という職がたくさんあり、物を最後まで使い尽くす社会であったと同時に、様々な雇用を生み出していました。桶や樽の修理職人、陶磁器の修理職人、鍋や釜などの金属の修理職人、紙や古着、傘の骨まで再利用していました。

 

勿体無い精神が社会に雇用を生み出し、環境負荷の少ない持続可能な暮らしを実現していました。これは、あらゆるものに同化する人間の共感回路が、人類の社会ひいては、地球環境においていかに重要かを示しています。

 

そして、その共感回路は私たちの進化の履歴であるDNAの使い回しによって実現しており、90~97パーセントのゴミと呼ばれるDNAは、実は可能性の引き出しなのです。引き出しが多ければ多いほど、変化に適応する幅が広がり、あらゆる局面に対応することが出来ます。つまり、ジャンクDNAは宝の山なのです。

 

DNAは他にも面白い働きを示しています。ノックアウトマウスという、遺伝子操作によってある特定のDNAだけを削除した実験用のマウスがいます。それによって、どのDNAがどのような働きをするのかを確かめるのですが、その実験によって表面的に変化を表す場合と、そうでない場合があります。なぜそのような現象が起こるのかというと、DNAには、欠落した部分を補う作用があるというのです。

 

これは、人間の脳が損傷した部分を補うのと同じように、また生態系が破壊された部分を補おうとするのと同じです。細胞の共同体である人体も、生物の共同体である地球にも、欠けた部分を補う作用があるのです。これはまだ十分に解明されていない分野ではありますが、DNAにもこの作用があり、実はDNAもまた共同体なのです。

 

つまり私たちは、DNAの共同体であり、細胞の共同体であり、人類は個人の共同体なのです。私たち生命は、地球で誕生して、この人間という形に進化するまで、常に種という共同体の単位で進化してきました。

 

私たちが「死」を持つのも、無限に増殖し生き続けるのではなく、有限の増殖「老い」を持つことで、種全体の新陳代謝を高め、種としての進化を高めるためです。決して、個の成長・個の進化が先にあるわけではないのです。私たちの存在の基盤は、個ではなく、群れ・全体のなのです。

 

存在の基盤ということは、精神構造の基盤もまた、個ではなく群れ・全体として出来ています。ハチやアリ、魚や鳥の群れが一糸乱れぬ集団行動を取るのを見れば分かるように、すべての生物の思考回路のベースは常に群れの存続、種の存続なのです。

 

だから、私たちは全体のために生きることに尊さを感じます。それは本能が共鳴しているのです。自己犠牲・献身は、私たちの心の奥にある群れの精神に共鳴します。私たちの心は、個よりも深いところに全体があるのです。私たち地球生命は、そのように成長してきたのです。

 

そして、後から個の精神が生まれました。自我です。これもおそらく他の生物にはない高度な精神構造なのでしょう。他者を否定し、自己を正当化し、現実とは違う幻想の世界を作り出します。その幻想を持って、人は本能に逆らい他者を欺き、殺し、奪ってきました。そしてあらゆるコミュニティを破壊してきました。クニ、ムラ、家族、親子。人間が全体性を育む基盤となる全ての共同体を破壊してきました。

 

そして、人類は自我によって、もうこれ以上バラバラにするものがないところまで来ています。私たちは改めて、これまでの人類の歩みを振り返り、立ち返る必要があるのです。私たちの心の奥にある、群れの精神を復活させるために、人類の群れである共同体の存在は無くてはならないものなのです。

 

私たち木の花ファミリーは、人類の進化の最先端です。その目的は、人類の群れである共同体の復活であり、群れの精神の復活です。それは、既にあったものを取り戻すという意味では回帰であり、一方で自我を超えるという前人未到の挑戦なのです。

 

f:id:Tenten:20160930100442j:plain2016年9月10日 稲刈り神事の写真

確信を持って生きること

人の数ほど人生がある。

人生は短く、一生の間にすべてを経験することはできない。

人は何かを諦めて、何かを選択する。

諦めと選択によって人は生きる方向を確かにする。

その人生に対する確かさ、確信が、人生に対する歩みを力強くする。

 

自らの人生に対する確信を、言葉にし表現することは、

自分の人生の方向を再確認することに繋がる。

再確認は、確信を強める。

自分の人生に対する確信を強めれば強めるほど、力が湧き、日々は輝きを増す。

学ぶ力は 生きる力

教えることで、相手が学ぶ力を育てる機会を奪っていることに気がついた。必要な情報を自らの力で探しだし、吸収することこそ学ぶ力だ。人間に最も近い知能を有するチンパンジーは、大人のすることを見て学ぶ。誰も方法を教えたりはしない。

教えることで、解答という狭い枠に相手を閉じ込め、相手の可能性を閉じてしまう。学校教育はまさにこれであり、考えられない人を量産する工場になってしまっている。

農業において、作物に肥料をやってしまうと、根が拡がらず、作物が自ら栄養を取り込み自分の体に変換する力のない、弱々しい作物を育ててしまう。生きる力が備わっていない、生命力のない野菜が出来上がる。

植物も、人間も同じ生き物。そう考えると、吸収し身に付けることは、生きる力であり、学ぶ力だ。日々、新しいことを吸収し続け成長するからこそ、人は生き生きと生きられる。

三週間坊主キャンペーン 「感情」

「学ぶ」とは何でしょうか。

「新しいことに取り組むこと」というのは安易すぎるかもしれませんが、人は新しいことに取り組むときに、これまで使ってこなかった能力を発見することができます。しかしそれは当然、継続して取り組み続けるからこそのものです。

 

今回は、三日坊主ならぬ三週間坊主と題しまして、人間が行動を習慣化するのに要する21日間を一区切りとして、「感情」というテーマを探求していきたいと思います。21日で習慣化するというのは、間違いだという話もありますが、これ以上長いと僕も飽きちゃうので、こんなもんで始めてみようと思います。

  

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 なぜ「感情」がテーマなのか。

人は、自分の発言・行動を通して自分を観察することが出来ます。「どうして私はあんなことを、言ってしまったのだろうか」「なぜあんなことしてしまったんだろう」そうやって人間は、他者を観察するように自分を観察することで、自己認識することができます。こういった心の働きを再帰性というそうです。一般的な言葉で言い換えると「振り返る」ということでしょうか。

 

しかし、発言や行動に出さなくても、自分を観察することは出来ます。自分の思考や感情を観察することです。特に、感情は思考に比べて刺激的ですから、意識的に捉えやすいのでしょう。自己認識の材料として、感情はとても多くのことを教えてくれます。

 

感情の観察というのは、自分のネガティブな感情のコントロールのためにあると、僕は今まで思っていました。でも、そうではなく、感情を通して自分をもっと知ることが、日々をより生き生きと、自分の人生をより主体的に生きていくことに直結している。そういう可能性を感じています。

 

今日から三週間、新たな取り組みにフォーカスし続けるために、このキャンペーンを始めました。三週間の間に、学んだことをまた書いていこうと思います。

 

物質と生命

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最初は小さな波だった。

その波は波紋として広がり、跳ね返り、重なり合って、

やがて揺らぎは渦へと大きくなっていった。

 

渦から銀河が生まれ、星が生まれ、大気が生まれ、海が生まれた。

それら渦巻くすべてのものたちは、変化しながらも、渦としての形を保ち続けている。

生命は、そんな変化と安定という法則の中で生まれたひとつの過程である。

 

渦巻く海の中で、

自己と世界を区切る膜が生まれ、

自己を複製し、存続するための遺伝子が生まれ、

それらをあわせ持つ、細胞というひとつの生命が生まれたかと思うと、

細胞同士が共生し合い、多細胞生物というより大きなひとつの生命へと進化した。

 

この世界には、ある方向性が与えられている。