生き抜く力
人間は不思議だ。
人間以外の動物は、「私はこのように生きていきます。改善していきます。」と宣言したりはしない。
宣言したことをプレッシャーに感じることもない。
宣言したことを実現できずに、強制されたと反発することもない。
人間はなんのために宣言なんてことをするのだろうかと考える。
人間には協力することが出来る。
人間以外の生物は、本能として他の生物と足りないものを補い合うように仕組まれている。
しかし人間は明らかに違う能力を持っている。
他者のしぐさや言葉から、相手が何を期待しているのかを読み取り、それに応えようとする。
それによって、人間は動物よりも高度な群れをつくることが出来ている。
期待し、応えることは、コミュニケーションの根底にあるものだ。
この人の期待に応えたい。
みんなの期待に応えたい。
期待され、応えることによって、感謝が生まれ、より強い信頼関係が出来ていく。
それは、人と人のつながりの強さであり、共同体の強さである。
「私はこのように生きていきます。改善していきます。」というのは、期待に応えようとしているように思える。
それは期待に対して応えることだから、受身的な変化であるが、そこに応えようという自らの意欲があるならば、それは主体的な行動となる。
それは、いうなれば器の力。
もうひとつ大事なものがある。
それは、ひとりひとりの中にあるもの。
心の奥底から湧いてくること。
これからの時代をどう生きていけばいいんだ。
もっと大事な生き方があるはずだ。
この道を大切なことだと感じた心、直感。
それは自らの中から湧いてくるもの。
それはひとりひとりの中にある、生命の声だ。
何度も絶滅の危機を生き抜いてきた、命の生き抜く力から湧いてくる声だ。
だから、地球の声に、人類の声に、自分より大きなものの声に耳を傾ける。
柱を立てるとはそういうこと。
それが柱の力。
どちらも大切だけど、
大本は柱。
拡げるのが器。
おわり
答えは対話の中にある
僕は身体との会話が好きだ。
それは、身体がどこへ動きたいのか
どういう動きが自然なのかを身体と会話しながら探っていく。
結果、楽で美しく無駄のない動きが見つけられる。
進むべき方向は身体が教えてくれる。
昨日は子どもとのやりとりが面白かった。
こちらの伝え方次第で、向こうは柔軟に機敏に変化してくる。
こう出れば、向こうはどう出るのかな。
どうするとこの関係はお互いにとって
楽しくて無理のない、良い関係になれるのかな。
進むべき方向は相手が教えてくれる。
多分、これは広くあらゆることに適用できることじゃないかな。
体とか相手とか、そういう物質的な対象だけではなく
集団とか場の空気であったり、
天意というか、機運のような長いトキ軸に流れるものであったり。
おわり
女の業の深さと、男の弱さは活かし合うためにある
女性は男性よりも業が深いという。
確かに木の花でも女性メンバーの方が、身も心もボロボロというところまで行った人が多いように思う。世の中を見てもそのように思う。
一方で男性は女性よりも打たれ弱い。日本の年間自殺者数の男女比は男:女は7:3だ。木の花でも、いさどんが男性にとても配慮して接していることや、出て行くメンバーも男性の方が明らかに多い。
こういった男女の傾向は、別々に見れば問題点だが、本来は活かし合えるもののはずだと思う。男と女、性の起源をたどれば見えてくるものがあると思う。
■単細胞の接合
21億年前、環境が悪化した場合に限り、単細胞生物同士が接合し遺伝子を交換することによって、環境に適応した変異体をつくりだした。
■殖産分化
10億年前、単細胞生物から多細胞生物へと進化。生殖と生産を一つの細胞で担うより、別々に役割分担した方が効率が良いので生殖細胞と体細胞に分かれた。
体細胞(筋肉・神経・消化器官)
生殖細胞(精巣・卵巣・子宮)
■精卵分化
受精:画像はこちらからお借りしました。
10億年前、安定が求められ栄養を蓄える卵子と、競争により淘汰されることで変異を担い運動する精子に分かれた。雌雄同体。
■躯体分化(雌雄分化)
画像はこちらからお借りしました。
それまで、雌雄同体としてひとつの体で精子と卵子を作り出していたが、オスメスに分かれ役割分担した。
安定が求められる卵子を生み出す躯体=メス
変異に対応する精子を作り出す躯体=オス
こうして、すべてをひとつで担っていた単細胞生物から、様々な役割を分担し男と女が生まれた。男は変異を担い、女は安定を担う。
女は男の二倍業が深いというのは、本来、生殖を担うために高めた能力、安定性=強さが、問題として表れている。
男が弱いというのは、本来、外の世界で生産や仕事を担うために高めた能力、変異性=弱さ(環境の変化に対する敏感さ)が問題として表れている。
画像はこちらからお借りしました。
地球はひとつの生命であり、共同体もひとつの生命である。
男女もまたふたつでひとつの生命である。
男性は「弱さ」とも言える、変化に対しての敏感さを生かし、女性に伝達することで、男性は共同体をあるべき方向へ導く柱となることが出来る。
女性は「業の強さ」のとも言える、安定性を生かし、共同体をより安定させ充実した豊かな場所にすることが出来る。
男と女は本来、ひとつの生命であり、より高度な生命に進化するために分かれたのであって、お互いの能力を活かし合うようになっている。
男性の弱さと女性の強さは、この共同体をより豊かな生命体へと変化させていける。
男と女が活かし合うことで、世の中の動きに機敏に適応し、同時に安心のある豊かな場所を実現する共同体になっていける。
この共同体がより充実したものになっていくということは、人類という共同体がより豊かな生命体へと進化していくために、雛形になるという意味でもある。
ミーティングがつまらない。
ミーティングがつまらない。
結局いさどんが圧力をかけて、翌日にいさどんが答えを出す。僕らは時代や社会の圧力を受けてここに集まっている。だから、本来いさどんからの圧力は必要ないもの。でも社会情勢の番組を見ても寝ている。僕には理解できない。僕は答えを出さなければならないし、答えを出したい。やらずにはおれないから、圧力をかけられなくてもそういうことをやる。
プーチンはロシア国民のために大統領をやっている。だから国民が共感できる、筋の通った話ができる。支持率も高い。
オバマはアメリカ国民のためではなく、ユダヤ資本や軍需産業の利権のために大統領をやっている。本当のことは国民には言えないから、嘘や捏造で国民を扇動しなければならない。騙せている間は支持率は高いが、後で嘘がバレて支持率は下がる。今回も、国内の諜報機関や軍部からシリア空爆に反対され、シリア空爆時は国民の支持率は18%だった。
次期アメリカ大統領候補のドナルド・トランプの支持率が高いのも、ユダヤの傀儡、ブッシュ一族に飽き飽きした国民の声だろう。
プーチンはすべての情報を国民に公開しているわけではないし、そこには駆け引きもあるだろう。あくまでロシアのためであり、全人類のためという意識でいるわけでもない。
ただ、何か変化の兆しを感じる。限られた一部の利益のためではなく、より大きな集団の利益のために役割を果たそうとする人々が現れてきているように感じる。時代の変化に期待を持ちつつ、冷静に観察していきたい。
本当は、ひとりからではなく、みんなで考えを出しあって答えを出していきたい。みんなが参加して、みんなが納得するからそこにエネルギーが生まれるし、ひとりひとりの歩みに力が宿る。
どうしたらそこに行けるだろう。
「なんでだろう?」を日々に持つこと。
探求して答えを出していくと、道理が頭の中に組み上がっていく。日常に出会う様々な現象の背後にある構造が、頭の中で立体的に組み上がっていく。
そうすると、ある現象を、他の現象と置き換えて理解することができるようになる。畑の土の中の微生物の動きと、社会情勢が同じに見れる。直感的に道理を通せるようになる。それが柱が立つということであり、相似象的思考、カタカムナの世界。
男は柱、女は器。
自我を通すための屁理屈なんてもういらない。男は、みんなが納得できる答えを出していけるようにならないといけない。女のように、「そうだね」ばかり言ってちゃダメだ。ひとりひとりが、自分を誇らしく思えるような、女性に道を示していけるような者になって初めて、正しい性のあり方がそこに見えてくる。多分。
行ってみないとわからないけど、みんなで磨き合ってそこを目指したい。
あゆむ
神にすがるな。
神は人を救いはしない。
ただ道を示すだけ。
救世主はいない。
誰もあなたを救ってはくれない。
あなたを救えるのはあなただけ。
僕たちは特別ではない。
僕たちが道半ばで立ち止まるなら
神が別の者に道を示すだけ。
親に送った手紙
新年明けましておめでとうございます。
今年の正月は帰省を取りやめて、その代わりに家族に手紙を送りました。
理由もわからず悩んでいた大学時代の自分に、ひとつ答えを返せたように思います。
父さん、母さん、【弟】、【妹】ちゃんへ
少し早いですが、新年あけましておめでとうございます。来年もよろしくお願い致します。また急な話で申し訳ありませんが、去年と同じように、今年の正月も帰らないことにしました。
昨日までは帰る予定でいましたが、木の花ファミリーの関西方面の人達が、僕以外全員帰省しないということになってしまい、僕一人で車を一台使うというのも非効率なので、帰省することを考え直しました。
去年は、木の花ファミリーの花祭で使う鬼の面を彫るためということで、帰省を取りやめました。それは事実で、立春正月までに完成させるためにとても忙しかったのですが、別の理由もありました。今回は帰省しないことを知らせるのに合わせて、その理由を伝えさせてもらういい機会だと思ったので手紙を書きました。
僕は大学受験で二浪して、在学中に一年留年しました。その後の就職活動も全く熱心にせず、色々と模索した末、木の花ファミリーのメンバーになりました。
それは一般的には、社会不適応なニートが社会の中で特異な場所に自分の居心地の良い居場所を見つけて、そこに逃げ込んだという風に見えるかもしれません。一般通念として、社会の矛盾や理不尽に出会いながらも、答えを見出し、時には妥協しながら仕事をこなし自分や家族の生活を成り立たせていくことが、大人として一人前ということでもあるかと思います。
正直に言って、僕にはそういった矛盾や理不尽さに対して妥協や誤魔化しで生きていくことが嫌でした。そして、答えが見いだせませんでした。世の中があまりにも嘘と矛盾だらけに感じました。受験を前にしても、就職を前にしても、その先に僕の求めるものはなく、その壁を超えていこうという気力が湧いてきませんでした。そして、僕は一生懸命になれない自分に失望しました。だからこそ、自分が心の底から一生懸命になれるものを探して行き着いたのが木の花ファミリーでした。
木の花には、人間が生きるための土台である地球や自然を大切にするライフスタイルがあり、個々人の能力は他者より上に立つためにあるのではなく協力し助け合うためにあるという精神的土壌があります。
そしてここには、自分のお金も、自分の時間もありません。ある人からすればとても不自由な場所です。ですが、24時間365日すべての時間を、自分のためではなく、目的を共有する仲間のために、社会や人類のために捧げ、お互いを認め合う生き方は誇りと喜びを与えてくれます。そしてそれらに矛盾がありません。
テロや戦争、環境破壊や異常気象、世界や日本の経済不安、鬱や自殺、引きこもりやニート、金儲け主義の医療や福祉、すべてが飽和寸前です。それらの問題が指し示す人類の方向は、自分のためではなく、より大きな全体のために一人ひとりが生きることなのです。そこには矛盾が無く、生きる喜びがあるのです。
それは、僕個人が感じていることではなく、社会現象なのです。そういった暮らしを可能にするのは、自分の心を見つめエゴを超えていくことです。それを21年も前から取り組んでいるのが木の花であり、これは世界中を見ても先進的な取り組みで、毎年多くの外国人のゲストが木の花を訪問しています。
正月にさえ帰省しない息子は親不孝かもしれません。ですが、家族を包む社会、社会を包む人類のためにという志で毎日生きています。【母方の実家】の家が所属する仏教も、【父方の実家】のおじいちゃんが言った「自分の中の仏様を大事にしなさい」という言葉も、そのままを目指して生きていると思っています。
盲信しすぎて極端に走っていると思うかもしれません。極端なことを言えば、僕はそれでも構わないのです。人生を終える時に、人生をかけて何かをやりきったと思えればそれでいいのです。といっても、ここで暮らし始めてからの7年の間に、迷いもあり、この道で良いのかを確かめながら続けてきました。それも今は確信に変わりつつあります。
別に、正月に帰省してはいけないわけでもなく、帰らない理由がはっきりとあるわけではありません。今後も必要があれば帰りますし、正月にも帰省することはあると思います。大阪は、僕が生まれた場所であり、人生のスタート地点として大切な場所です。しかし、なんとなく、気持ちが通わない場所へ帰るのが嫌でした。なので、今年はこういったことを伝えさせてもらういい機会かなと思います。
願わくば、すべての人が、自分のことだけではなく、世の中に目を開き、地球生命の長としてどう生きるべきなのかを考えられるといいと思っています。
では又来年。
知意行一体
知 -アタマ-
意 -ハラ-
行 -生活-