やゆよのあゆみ

木の花ファミリーという共同体で、人と自然と調和して暮らしています。生きることとか人間のこととかを書いていきます。

群れの精神  -いさどんブログへの返信-

以下は、いさどんブログ「瞬間瞬間がオリジナル ~ 群れが個人を目覚めさせる」を読んで、僕の中から湧いてきた返信文です。

 

isadon-konohanafamily.org

だからこれからの時代は、個人が群れの中に暮らすのは生きるためではなく、目覚めるためだ。
群れの生活形態が個人を目覚めさせる。全体性を学び、エゴを洗い流し、世界の構造を理解するために、群れの暮らしが必要になる。群れて生きた結果、個人はそれぞれの歩みや個性にふさわしく目覚めていく。そしてそれぞれの事情を生かしながら、全体を創っていく。

 

 

私たちは、あらゆるものの共同体です。生物は細胞の共同体であり、人類は個人の共同体です。そして、細胞はDNAの共同体でもあると言われています。今人類が行き当たっている壁は、私たちの心の中にある自我です。その自我が何であるのかを知るためには、人類の歴史だけでなく、生命の歴史を振り返る必要があります。その歴史とは進化の歴史です。

 

私たちの進化の歴史は、私たちの体を構成するすべての細胞に、DNAとしてひとつひとつに刻まれています。ところが私たちのDNAの90~97パーセントがジャンクDNAと言われています。しかしそれはゴミではありません。ジャンクDNAも含めてすべて私たちの進化の履歴であり、可能性の引き出しなのです。

 

例えば、私たちが相手の痛みを理解するという「共感」を感じる時、痛覚系の脳回路が働いていることがわかっています。痛覚という感覚回路は、元々は肉体を守るためのセンサーとして生まれました。それを、他者に同化し理解するためにも再利用しているということなのです。そしてさらに面白いことに、私たちが物に対して「勿体無い」と感じるときにも痛覚が働いています。

 

勿体無い精神は、古くから日本人の心に刻まれています。日本江戸時代は、究極のリサイクル社会だと言われていますが、修理業、回収業という職がたくさんあり、物を最後まで使い尽くす社会であったと同時に、様々な雇用を生み出していました。桶や樽の修理職人、陶磁器の修理職人、鍋や釜などの金属の修理職人、紙や古着、傘の骨まで再利用していました。

 

勿体無い精神が社会に雇用を生み出し、環境負荷の少ない持続可能な暮らしを実現していました。これは、あらゆるものに同化する人間の共感回路が、人類の社会ひいては、地球環境においていかに重要かを示しています。

 

そして、その共感回路は私たちの進化の履歴であるDNAの使い回しによって実現しており、90~97パーセントのゴミと呼ばれるDNAは、実は可能性の引き出しなのです。引き出しが多ければ多いほど、変化に適応する幅が広がり、あらゆる局面に対応することが出来ます。つまり、ジャンクDNAは宝の山なのです。

 

DNAは他にも面白い働きを示しています。ノックアウトマウスという、遺伝子操作によってある特定のDNAだけを削除した実験用のマウスがいます。それによって、どのDNAがどのような働きをするのかを確かめるのですが、その実験によって表面的に変化を表す場合と、そうでない場合があります。なぜそのような現象が起こるのかというと、DNAには、欠落した部分を補う作用があるというのです。

 

これは、人間の脳が損傷した部分を補うのと同じように、また生態系が破壊された部分を補おうとするのと同じです。細胞の共同体である人体も、生物の共同体である地球にも、欠けた部分を補う作用があるのです。これはまだ十分に解明されていない分野ではありますが、DNAにもこの作用があり、実はDNAもまた共同体なのです。

 

つまり私たちは、DNAの共同体であり、細胞の共同体であり、人類は個人の共同体なのです。私たち生命は、地球で誕生して、この人間という形に進化するまで、常に種という共同体の単位で進化してきました。

 

私たちが「死」を持つのも、無限に増殖し生き続けるのではなく、有限の増殖「老い」を持つことで、種全体の新陳代謝を高め、種としての進化を高めるためです。決して、個の成長・個の進化が先にあるわけではないのです。私たちの存在の基盤は、個ではなく、群れ・全体のなのです。

 

存在の基盤ということは、精神構造の基盤もまた、個ではなく群れ・全体として出来ています。ハチやアリ、魚や鳥の群れが一糸乱れぬ集団行動を取るのを見れば分かるように、すべての生物の思考回路のベースは常に群れの存続、種の存続なのです。

 

だから、私たちは全体のために生きることに尊さを感じます。それは本能が共鳴しているのです。自己犠牲・献身は、私たちの心の奥にある群れの精神に共鳴します。私たちの心は、個よりも深いところに全体があるのです。私たち地球生命は、そのように成長してきたのです。

 

そして、後から個の精神が生まれました。自我です。これもおそらく他の生物にはない高度な精神構造なのでしょう。他者を否定し、自己を正当化し、現実とは違う幻想の世界を作り出します。その幻想を持って、人は本能に逆らい他者を欺き、殺し、奪ってきました。そしてあらゆるコミュニティを破壊してきました。クニ、ムラ、家族、親子。人間が全体性を育む基盤となる全ての共同体を破壊してきました。

 

そして、人類は自我によって、もうこれ以上バラバラにするものがないところまで来ています。私たちは改めて、これまでの人類の歩みを振り返り、立ち返る必要があるのです。私たちの心の奥にある、群れの精神を復活させるために、人類の群れである共同体の存在は無くてはならないものなのです。

 

私たち木の花ファミリーは、人類の進化の最先端です。その目的は、人類の群れである共同体の復活であり、群れの精神の復活です。それは、既にあったものを取り戻すという意味では回帰であり、一方で自我を超えるという前人未到の挑戦なのです。

 

f:id:Tenten:20160930100442j:plain2016年9月10日 稲刈り神事の写真