やゆよのあゆみ

木の花ファミリーという共同体で、人と自然と調和して暮らしています。生きることとか人間のこととかを書いていきます。

親に送った手紙

新年明けましておめでとうございます。

今年の正月は帰省を取りやめて、その代わりに家族に手紙を送りました。

理由もわからず悩んでいた大学時代の自分に、ひとつ答えを返せたように思います。

  

父さん、母さん、【弟】、【妹】ちゃんへ

 

少し早いですが、新年あけましておめでとうございます。来年もよろしくお願い致します。また急な話で申し訳ありませんが、去年と同じように、今年の正月も帰らないことにしました。

  昨日までは帰る予定でいましたが、木の花ファミリーの関西方面の人達が、僕以外全員帰省しないということになってしまい、僕一人で車を一台使うというのも非効率なので、帰省することを考え直しました。

 去年は、木の花ファミリーの花祭で使う鬼の面を彫るためということで、帰省を取りやめました。それは事実で、立春正月までに完成させるためにとても忙しかったのですが、別の理由もありました。今回は帰省しないことを知らせるのに合わせて、その理由を伝えさせてもらういい機会だと思ったので手紙を書きました。

 

 僕は大学受験で二浪して、在学中に一年留年しました。その後の就職活動も全く熱心にせず、色々と模索した末、木の花ファミリーのメンバーになりました。

それは一般的には、社会不適応なニートが社会の中で特異な場所に自分の居心地の良い居場所を見つけて、そこに逃げ込んだという風に見えるかもしれません。一般通念として、社会の矛盾や理不尽に出会いながらも、答えを見出し、時には妥協しながら仕事をこなし自分や家族の生活を成り立たせていくことが、大人として一人前ということでもあるかと思います。

 

 正直に言って、僕にはそういった矛盾や理不尽さに対して妥協や誤魔化しで生きていくことが嫌でした。そして、答えが見いだせませんでした。世の中があまりにも嘘と矛盾だらけに感じました。受験を前にしても、就職を前にしても、その先に僕の求めるものはなく、その壁を超えていこうという気力が湧いてきませんでした。そして、僕は一生懸命になれない自分に失望しました。だからこそ、自分が心の底から一生懸命になれるものを探して行き着いたのが木の花ファミリーでした。

 

 木の花には、人間が生きるための土台である地球や自然を大切にするライフスタイルがあり、個々人の能力は他者より上に立つためにあるのではなく協力し助け合うためにあるという精神的土壌があります。

 そしてここには、自分のお金も、自分の時間もありません。ある人からすればとても不自由な場所です。ですが、24時間365日すべての時間を、自分のためではなく、目的を共有する仲間のために、社会や人類のために捧げ、お互いを認め合う生き方は誇りと喜びを与えてくれます。そしてそれらに矛盾がありません。

 

 テロや戦争、環境破壊や異常気象、世界や日本の経済不安、鬱や自殺、引きこもりやニート、金儲け主義の医療や福祉、すべてが飽和寸前です。それらの問題が指し示す人類の方向は、自分のためではなく、より大きな全体のために一人ひとりが生きることなのです。そこには矛盾が無く、生きる喜びがあるのです。

 それは、僕個人が感じていることではなく、社会現象なのです。そういった暮らしを可能にするのは、自分の心を見つめエゴを超えていくことです。それを21年も前から取り組んでいるのが木の花であり、これは世界中を見ても先進的な取り組みで、毎年多くの外国人のゲストが木の花を訪問しています。

 

正月にさえ帰省しない息子は親不孝かもしれません。ですが、家族を包む社会、社会を包む人類のためにという志で毎日生きています。【母方の実家】の家が所属する仏教も、【父方の実家】のおじいちゃんが言った「自分の中の仏様を大事にしなさい」という言葉も、そのままを目指して生きていると思っています。

 盲信しすぎて極端に走っていると思うかもしれません。極端なことを言えば、僕はそれでも構わないのです。人生を終える時に、人生をかけて何かをやりきったと思えればそれでいいのです。といっても、ここで暮らし始めてからの7年の間に、迷いもあり、この道で良いのかを確かめながら続けてきました。それも今は確信に変わりつつあります。

 別に、正月に帰省してはいけないわけでもなく、帰らない理由がはっきりとあるわけではありません。今後も必要があれば帰りますし、正月にも帰省することはあると思います。大阪は、僕が生まれた場所であり、人生のスタート地点として大切な場所です。しかし、なんとなく、気持ちが通わない場所へ帰るのが嫌でした。なので、今年はこういったことを伝えさせてもらういい機会かなと思います。

 

願わくば、すべての人が、自分のことだけではなく、世の中に目を開き、地球生命の長としてどう生きるべきなのかを考えられるといいと思っています。

 

では又来年。

 

響き

 

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言葉に力がない。

自分に囚われているからだ。

不安で自分を守っている。

その空気が言葉を通して伝わる。

 

心の奥の言葉を発する。

僕というバイブレーションを世界に響かせる。

 

響かせ合う。

共振、共鳴。

 

心を開け。

 

すべては善意。

 

 

 

ひとつ

 

 

感じること 考えること

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感じることは、拡げていくこと。

考えることは、収めていくこと。

 

すべてのものはDNAのように螺旋を描きながら運動している。

銀河団も銀河も、太陽も月も地球も、原子も電子も。

 

人の心もまた、感じることと考えることを繰り返して活動している。

それは拡大と収束、受動と能動、右脳と左脳、母性と父性とも言える。

 

そのふたつのバランスが取れていることは、調和であり健康であり自然である。

偏りは、矛盾であり、病であり、痛みを生み出す。

 

思考に偏りすぎると、イメージ・主義・理論に囚われる。

感覚や直感は鈍り、今という瞬間から意識は遠ざかる。

 

他者の意見が受け取れなかったり、

目の前の大事なことを見過ごしてしまったり、

自分の内側から湧いた、直感や違和感を見逃してしまう。

 

感じることに意識を向けて、心を開くと、人の言葉が心で受け取れる。

手にした道具に神経が通う。

自然や宇宙と心が通う。

 

感じることで、枠を外し、

考えることで、枠を固める。

 

そうやって、変化と定着を繰り返し、その流れの中に身を委ねていく。

信仰と科学

真学校の受講生、ぶんちゃんからの質問

「菜食主義者は、植物を食べることは可愛そうだとは思わないのか。」

 

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46億年前に地球が誕生してから、14億年前に海中で光合成生物「シナノバクテリア」の大繁殖により、5億年前には大気中に1%しかなかった酸素が、2億年前には33%に達した。

大気中に増えた酸素は、やがて成層圏まで達してオゾン層を形成。これにより太陽からの紫外線がガードされ、海中でしか生存できなかった生物が、植物が生成した酸素のお陰で、ようやく地上に上陸できる条件が整った。

 

酸素が生成されるようになると、酸素を取り入れて膨大なエネルギーを得る「好気性細菌」が生まれ、酸素のない世界で生きてきた「嫌気性細菌」と融合し、生物の細胞内に存在する共生体「ミトコンドリア」が生まれた。

ミトコンドリアのエネルギーの生産量は、生命体が必要とする全エネルギーの95%にものぼり、「生体の発電所」と呼ばれている。

 

ミトコンドリアの誕生により、植物を摂取することで得た栄養素と、大気中の酸素を合成して、地上を動き回る「動物」が誕生した。動物は植物から様々な栄養素を摂取する。

太陽エネルギーを固定した炭水化物などの糖類、植物の根に生息する窒素固定菌が大気中の窒素から固定したタンパク質などの窒素化合物、植物の根が出す根酸によって分解・吸収されたミネラルなど。植物が生産した酸素によって地球環境は整えられ、進化を導き、様々な生産物は動物のいのちを支えている。

 

こういった生命の進化の過程を見ると、奇跡のような確率で今があることがわかる。それを偶然の産物として見るのか、成るべくして成ったと見るのか。

 

僕は、「信仰と科学」は、真理に至る二つの道だと思う。 ひとつの源から現象を観ることを信仰と呼び、細かく分かれた側から現象を観ることを科学と呼ぶ。信じて歩むことで、裏付けが後からやって来る。裏付けられることによって、信仰は深まる。

 

そうやって人は、信仰と科学の間を行ったり来たりしながら、真理へと至る道を歩んでいる。だとすれば、地球上に動物が生まれ、人が生まれた針を通すような奇跡の確率をみて、やはり僕はそこに神の意志を感じずにはいられない。

 

「菜食主義者は、植物を食べることは可愛そうだとは思わないのか。」

 

植物は動物を支えるために生まれ、動物はこの星に多様性を表現し、人へと進化するために生まれ、この星はそのために用意された場所なのだと。そうしてすべての存在は、役割を果たすことが喜びとして作られたのだと。植物は人に食べられることを喜びとし、人はこの世界に生かされれていることに感謝する。 

 

人は、人として生まれた役割を果たし、喜びとともに生きる。

うれしたのしの国作り。

あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり日本晴れ!

 

 

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木の花ファミリーでは今、一ヶ月の真学校が開催中です。

【1ヶ月間の真学校@木の花ファミリー | “天然循環” という生き方】

 

 

柱と父性

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今日はどんど焼き

青い光が降りてきました。
溜まったものを燃やして天に還して、どんな一年がやってくるのかな。

 

久しぶりに木の花を訪れたパパさん二人。
木の花で秩序がありながらのびのびと暮らしている自分の子供を見て、
「自分が育てなくてよかった。こんな風に育てられる自信が自分にはない。」と言う。
大人サミットのテーマ「柱をたてる」に「父性」との繋がりを感じた。

 

「これは良い、これは悪い。」と物事を仕分ける力、父性。
父性がないのは家庭だけではない。
教育現場では、怒らない方針が流行っているけど、ただ父性がないだけ。

 

今日の、大人サミット参加者から紹介された「みくさのみたから」。
自分の心に取り組む手法でさえ無数にある現代社会の中で、いかに芯をもって生きていくか。
難しいようだけど、どんな手法にも奥にあるものは共通している。
だから、表面に囚われずに、物事の奥を観る力を養うんだ。



自分の好き嫌い、固定観念に囚われずに、客観的に物事を観て、仕分けていく。
人間視点の父性から、宇宙視点の父性へ。
その積み重ねが、客観背後であり、この宇宙からのメッセージである、
ひとりひとりに与えられたオリジナルな物語を歩むことに繋がるのかな。